2017年12月29日金曜日

今年の一文字「逢」 番外編

逆算して、年内は明日29日しかネットカフェに行けないことが判明した。

しかも色々計算すると、行くのは午前中。

朝マックの後ひとり大反省会をする前にネットカフェに寄ってさっとアップしようと思ってる。

それに向けて急ピッチで今年の一文字シリーズを書いている。

残すところあと1つ。

書いた順番として、2の結婚式の再会、3のソウルメイトMちゃんとの出逢い、4の愛あふれる再会、5の道標となる人たちとの出逢い、そしてこの番外編。

1に書くことはもう11月から決まっていた。

書く内容の方じゃなくて、今年の一文字「逢」が瞬時に出てきた時にまっさきに出てきた人のことだから忘れられない。

私はまだそれについて何も書いていない。

何をどう書いたらいいのかわからないのが今現在の心境。

私が「今年の一文字」という発想を知ったのは、今からさかのぼること10年前になる。

2007年、地球の裏側にいた私は、そこに一緒にいた日本人の人たちと直訳すると「天国」という名前のカリブ海のきれいな小さな町に行った。


そこからまたさらに秘境の地へと車を走らせ、人生で一番きれいな海に辿り着いた。




その時に一緒に行った1人の人が「今年の一文字ってなあに?」と振ったことから、私は初めて「今年の一文字」を考える習慣に触れることとなった。

そう、私は日本にいた時には全くそんな習慣があるとは知らず、カリブのものすごくのんびり我が道を行く気質の国で、そんなことを初めて知った。

ちなみにその年は「動」としていた。

翌年自分を信じるという意味で「信」にしたいときれいな海を見て誓うものの、2008年の終わりには「迷」という字がぴったりの1年だったと締めくくっていた。

その辺りも書きだすともう収集がつかなくなるから今は止めるけれど、とにかく今年2017年は「逢」という文字以外候補がなかった位に「逢」が真っ先に思い浮かんだ。

これから書く1以外は、この1週間ほどで後付けのようにポロポロと途中から出てきたもので、当初は1だけを書くつもりでいた。

1に書くことで1つだけ確定していることがある。

私は数日前の夜布団の中で、趣味のネットサーフィン中に見つけた最近お気に入りのブログを読んでいた。

そのブログは確かに共感することが多い。

共感はするけれど、さすがに泣いたことはない。

だけど、その日のブログのある一文を読んで私は泣いた。

心の奥底に響いた言葉だった。

そしてそれが「逢」という文字なくしては起こせない奇跡だということも知った。

泣く時の感覚なんてあまり注目をしないけれど、その時は自分がどこから泣いているのかわかった。

自分の内側から湧き出る感じで泣いていた。

色んな感情をひっくるめての涙で、流そうと思っても流せないタイプの涙であることも感じていた。

そう、本当に何かを感じていなければ流せない涙だった。

どこにどんな風に使うかもわからないまま、でもどうしてもその文だけは使いたくて、私はそのブログを書いている全くの見ず知らずの方に連絡を入れた。

すぐに返事が来て、その方が書かれた文章を使うことを快諾してもらえた。

世の中には今たっくさんの文章で溢れ返っている。

色んなブログも好きだからとか何かを調べたいからという理由で読む。

人との出逢い同様、文との出逢いもすごい確率で起こっていると思う。

まず目に触れるという点において、それだけでもすごい確率だろう。

さらにその中のある一文に心動かされるなんて言ったら、どれだけの確率だろう。

間違いなく天文学的数字を打ち出すだろう。

そういうものも出逢いそのものだと思う。

ずっとずっと考えているけれど、やっぱり今もまだ1の内容が定まらない。

内容が定まらないと言うよりも、言葉にならないという感じの方が近い。

とりあえず書き出せば何か書けるかもしれないから、書いてみようと思う。



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