2017年11月20日月曜日

奇跡の再会


*2017年初夏
 
その日私は一気に4枚の名刺をもらった。
そのうちの1人の名字は、人生で初めて見た名前だった。
よく聞かれるのだろう、手書きで読み仮名を振っていた。
だけど、私の中で強烈な印象を残したのはその変わった名字の人のものではなかった。
どの文字や名前も特殊なものはないのに、ある一文字だけが際立っていた別の名刺だった。
その一文字を見て、「あ、H子さんと同じ字だ」と真っ先に思った。
4枚も一気に名刺をもらうのだから、当然バタバタとしていた。
現実的に余裕など1ミリもなかった。
なかったけれど、強烈にH子さんが一瞬記憶の奥の方からやってきて、当時はそれが何なのか気にも留めず、私はその余裕のない現実へとすぐに戻っていった。
 
 
*2017年 暦は立秋・体感温度は真夏
 
その頃から私は過去の色んなことが時折頭をかすめていた。
H子さんと同じ漢字の人の存在感が日に日に大きくなるのと同時に、H子さんのこともちょいちょい頭に出てきていた。
H子さんは、20代の頃一緒に働いていた同僚の同年代の女性だった。
私の方が年上なのに、H子さんはすごくしっかりしていて、本当に色々と助けてもらっていた。
明るくて朗らかで心がとってもまっすぐで、みんなから好かれるようなタイプの可愛らしい女性だった。
だけど、H子さんが女としてしあわせな道をどんどん歩んでいく横で、私の当時付き合っていた人との関係は日に日にひび割れて行った。
修復もままならなければ、別れも決意できず、1人で猛烈にもがいていた。
そのうちに私はH子さんを避けるとまではいかなくても、しあわせな彼女の話を尋ねたり、それをさりげなく会話に入れるというのが苦痛で仕方なくなった。
彼女は決して自分からそういうことを話したりする子ではなかった。
だから彼女から何かを伝えることは全然してこないけれど、周りは彼女のしあわせなことを普通に自分の身内の喜びのように話題にしていく。
第一子を妊娠した彼女に対し、周りは彼女と彼女の赤ちゃんを大切に大切にそれはしていた。
もう私にはそうできるほどの余裕など全くなく、極力接点をたくさん持たないように、それだけに注力していた。
すごくおめでたいことなのに、私はさりげなく体調を気遣ったり笑顔で彼女の今を日常会話として聞くなんて言うことは、自分の心が壊れそうなところまできていたから全くできなかった。
さぞかし冷たい人に見えるだろうと思いつつも、もう自分で自分を守ることに精一杯だった。
最後の最後までその辺りうまく立ち振る舞えないまま、彼女が産休に入るタイミングで、そのまま彼女との同僚生活も終わった。
赤ちゃんが生まれてからは他の女の子たちとお祝いも兼ねて訪ねたし、私が退職する時にはわざわざ駆け付けて挨拶にも来てくれていた。
本当の本当に素敵な女性だった。
だけど、自分のことで発狂しそうな関係を持っていた当時、私にはもっとうまく立ち回れるような大人の対応力はもう残っていなかった。
彼女がどこまでそれに気付いていたのかはわからないけれど、私の中ですごく後味が悪かったのは本当だった。
もう10年も前の話だけれど、私は今彼女に謝りたい、そんな風に思ったのが今年の真夏の時期だった。
謝りたいとは思ったものの、実際にどうやって彼女に会うのかなんていう具体的な策もなく、そして今の連絡先もわからずじまいだった。
 
 
*2017年10月 晩秋
 
その日に起きたことは、もし神様がいるとしたら神様のしわざとしか思えない位の偶然をいくつも私の元へ運んできた。
2時間強かけて行ってきたとある大きなショッピングセンターで、たまたま催事をしていた。
その催事は、その人を見てメッセージを書で書いてもらうというものだった。
普段の私なら素通りする。
だけどその時だけはすごく気になって、会場の周囲に飾ってあったその人個人のメッセージ調の書をいくつも眺めてはどうしようか迷っていた。
その前日、普段している仕事とは別の小さな仕事でちょっとした小銭を手にしていた。
その仕事で得たお金に関しては、形に残るものとか自分が長く使うものとか、又は誰かに贈るものとかそういうものに使うことを自分で決めている。
そのお金は、そこで書を書いてもらう値段にものすごく近かった。
書の方が300円だけ安い、そんな風だった。
10分位悩んだ後、私は結局そこで書を書いてもらった。
私は感じたままに書いて欲しいとだけリクエストした。
そうしたらまさか自分の生き方とか使命に関わるようなことをその場でもらうことになるとは思わず、私はそこでボロボロと泣いてきた。
私の生き方をこんなにも端的にわかりやすく、そして何を軸にして生きているのかをスパッと説明してくれ、言葉にして書いてくれた人は、その人が初めてだった。
 
感動もそこそこに本来の買物の方の用事を終え、いつもとは違う道で帰ることにした。
いつもとは違う道で帰るのは、単純に思い付きだった。
別にいつもの道でも問題ないのに、むしろそちらの方が交通量が少なくてスムーズなのに、あの時だけは違う道で帰ろうってなぜか思った。
そうして車を走らせること10分15分、なんと秋も深くなった夜空に大輪の花火が舞い上がっていた。
ここには書いていないけれど、あまりにも摩訶不思議なことが他にもたくさんあった1日だったから、最初とうとう幻覚でも見るようになったのかと自分の目を疑った。
だけど、花火は1発、また1発と間を空けながらもどんどん上がっていく。
どうやらどこかの地区でのお祭りのようで、たくさんの打ち上げ花火が上がっていた。
私は路肩に車を止めて、しばらく花火観賞をした。
大切なメッセージをもらった直後でもあったから、「この今進んでいる道で正しいですよ」と祝福されてるような肯定されてるような、そんな気持ちでいっぱいになった。


 
花火が終わりらしくしばらく待っても何も打ち上がらないのを見て、また車を走らせ始めた。
だいぶ家に近くなった頃、普段の通勤でも通るスーパーの半額祭りの時間じゃないかと思い立ち、そのスーパーに立ち寄った。
言葉の通り、私は半額のものたちや大幅値引きされているだろうものたちを期待して立ち寄ったに過ぎなかった。
一通り店内をパトロールし、あとはレジで精算するだけという頃。
数メートル先に見覚えのある顔があった。
一瞬、他人の空似かと思ったけれど、向こうも私のことをじっと見ている。
それは10年ぶりの再会とは思えない、全く変わっていないNさんだった。
Nさんは、H子さんと私の同僚だった女性で、当時は色んな話もしたしみんなで予定を合わせてご飯にも行ったりした。
Nさんはもう1人の当時の同僚Wさんとは今でも時々会うらしく、最後に私の方からもし今度Wさんと会うのであれば私も混ぜて下さい!などと言って、連絡先を渡した。
正直私は連絡先を渡すかどうか迷った。
当時は、Nさんはいわゆる後輩的な立場で、私の方が年齢と勤続年数で先輩的な立場だった。
私が連絡先を渡したら負担じゃないかなとも思ったし、じゃあさよならと言って立ち去るのも変だった。
迷ったけど、とりあえず連絡先だけ渡すでもいいか、と思い渡してきた。
そして後日、Nさんから今度みんなで集まりましょうとメールが来た。
 
 
*2017年10月末 伯父が亡くなった週
 
Nさんから、みんなで再会するために調整できた日の連絡がきた。
「11月××日、○○店で6人で予約取っています」とあり、6人も誰がいるのか皆目見当もつかなかった。
それでNさんに6人とはどんな6人が集まるのかを聞いた。
Nさん、WさんとWさんの2人の子ども、私、そしてなんとなんとのH子さんだった。
Nさんはもう何年も会ってないですと言っていたH子さんにも連絡を取ってくれていて、H子さんもその日会える運びとなっていた。
再会はこれからだけれど、あの名刺をもらった日から今に至るまで、H子さんと再会を示唆するように記憶がよみがえったりしていたことを思うと、何とも不思議でたまらない。
H子さんに謝るんじゃなくて、今また再会できること、その時間を一緒に楽しんだらいいんじゃないかと今は思っている。
もしそれを伝えられそうな瞬間があれば、そっとさりげなく言葉をかけられたらいいなぁとは思っているけれど、せっかくの再会に重たいものは持ち込まない方がいいんじゃないかと考えている。
 
 
*名刺の謎 2017年11月初雪
 
この夏にもらったあの名刺はまだ私の手元にある。
私は先月亡くなった伯父の葬儀の最中、実にびっくりしたことがある。
家族葬に近い形での小さなお葬式だった、
セレモニーホールの祭壇の両脇には、花がいくつか飾られていた。
その1つがいとこ(伯父の娘)の旦那さんの名前で、私はその名前を見て驚いていた。
その名刺の名前から「一」を引くと、その旦那さんの名前になる。
字も全く一緒。
その偶然にも驚いたけれど、その旦那さんの名前を見てH子さんを連想したことなど一度もなかった、逆に言えばあの名刺の時だけ異常なほどH子さんの存在が浮かび上がったことにもっと驚いた。
私はそのいとこの旦那さんの名前は何度か耳にしていたし、そして漢字についても年賀状が両親に毎年届いたのを見ていたし、いつかの年は私にも届いたから、見たことないわけじゃなかった。
だけど、私はその名前を見てもただの一度もH子さんを思い出すなんていうことはなかった。
 
さらに昨日(11/18)、もっと驚いたことがある。
私はこの10年の中で、H子さんと全く同じ漢字の同じ名前の女性と出会っていた。
しかも、その女性は仕事ですごくお世話になった方で毎日顔を合わせていた。
彼女の名前も必然的に毎日のように目にしていた。
だけどただの一度も私は彼女とH子さんが同名だなんて思ったことがなかった。
全然結びついていなかった。
そう同じ名前の人に出会っても全然記憶をかすめず、なのにただ漢字が一文字だけ一緒というだけでなぜか強烈に記憶がよみがえる、その差は何なのかと思う。
あの名刺の時だけ、もちろん名刺を渡されるような時にフルネームで自己紹介されるなんてことは普通ないから、たしか名字だけの自己紹介に終わっていたかと思うけれど、何だか知らないけれど、やたらと印象に残る名刺だった。
 
そんな風に思い出すと、あの名刺には「これから人生の中の大切なことが起きますよ」のサインでも隠されていたんじゃないかと思う。
事実として、その人の名前には実に色んなヒントが隠されていた。
H子さんだけにとどまらず、過去の色んな出来事に関わっている人たち数人と同じ漢字や名前だったりする。
そんなことは名刺をもらってすぐには気付かず、後から思い出した色んなこととその名前がなぜかなぜかリンクしていて、何度も度肝を抜かれた。
なんなら、父方の祖母の旧姓の一文字と同じ漢字が含まれていたりする(この旧姓は武士俣と並ぶくらい変わった名字だと思う)。
それはそうと、過去の大切なことも心痛いこともそれぞれと関係する関係者たちの名前を少しずつ合わせていくと、その名刺に印刷された名前と見事にマッチする。
その摩訶不思議な真実に気付く前兆として、あの名刺をもらった時のなぜか妙に印象に残る感じが存在したのじゃないかと思う。

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